2009年03月の「きょうの出来事」
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●2009年03月21日(土)

きょうは早くも「春爛漫」という感じです。午前中の診療の最後に友人の血栓性外痔核を切開血栓除去し、その友人とランチへ。その後「スーパーマーケット(2階に100円ショップあり)」へ行って60分ほど放浪し帰宅。久しぶりに自宅で土曜日夕方のテレビをみました。いつもの事ながら、テレビを見ながら入眠し「アド街」→「エンタの神様(特番)」→「チューボーですよ」を幸せな気持ちで見ました。

明日は日曜日ですが朝から夜まで休日診療当番です。とほほほ・・・

画像は母校「獨協学園」の大先輩。医師で歌人の「水原秋桜子先生」の句「花の下に病を救う手を組まむ」です。疲れたり凹んだときに読み返し元気をいただいています。

●2009年03月20日(金)

きょうは春分の日です。やっと昼と夜の時間が「半分半分」ですね。義理の父が80歳となり誕生会のため丸ビルへ。画像は玄関で行われていた「チューリップ展示会」で。綺麗ですね。

●2009年03月19日(木)

きょうは私が医師となった日から直接御指導をいただいた獨協医科大学救急医学科教授 崎尾先生の退任パーティでした。300名くらいの参加があり、昭和の時代一緒に仕事した先生達との再会も多くあり有意義な夜でした。以下に「崎尾教授退任記念誌」に投稿した文章を載せます。

雄昂会やたがいクリニック      谷田貝茂雄

私が第2麻酔科に入局したのは昭和の時代です。当時私が自他共に認める「崎尾先生に最も怒られた(教えていただいた)医局員」でした。

入局後1ヶ月がたち6月に長崎で麻酔学会があり、わくわく気分で崎尾先生の隣の座席で飛行機に乗り込んだときの事です。崎尾先生は、いきなり「抄録をみせなさい」と言いました。「抄録?なんですか?一応ここにあります」と答えると、崎尾先生は私の麻酔学会抄録を手にして「いついつどこの講演を聞くかあらかじめラインマーカーなどでチェックしておくものだ。君の抄録はチェックがない。読んだ形跡すらない。聞く気がないなら帰りなさい。」と栃木弁で怒られました。1ヶ月前まで学生だったのだから無理です。飛行機は離陸していますから帰れません。これが私の怒られ初め(崎尾先生が栃木弁で怒っている様子:以下崎尾節)でした。

その夏東京で「麻酔とリマニマシオン」という講演を崎尾先生と聞きに行きました。講演を聞いた帰り道「今日の講演内容を1分間で話してみなさい」と言われました。絶句し答えられずに崎尾節。講演を聞いたら「要約を話せる事」が大切なのだと教えていただいたのです。

大学の全身麻酔では当時小児外科に、これまた御指導のきびしい栃木弁の助教授が研修医に小児ヘルニアの手術で怒っている。その小児の全身麻酔を担当していた私に崎尾先生が「この子供に1回換気量はいくつでバック押してるのだ?換気回数は?有効肺胞換気量は?ジャクソンリースの利点と欠点は???」など崎尾節。小児外科のヘルニア手術は怒りの栃木弁飛び交う修羅場でした。論文検索をMRさんに御願いすると「図書館は何時まで開いているか知っているか?自分で論文を捜し出す事が勉強だ!」と崎尾節。術中に尿量が少ないので利尿剤を使おうとすると「血圧、補液は十分か?バルーンの管は折れ曲がってないか?腹部は触診したか?術者に膀胱の張り具合を聞いたか?」と崎尾節。

ある日「全身麻酔」を「all body anesthesia」と言って、崎尾先生に呆れられてから、いつでもどこでも「それは英語で表現すればなに?スペルは?」と聞かれ崎尾節。毎日OPE室で、ICUで、外勤の行き帰りで、崎尾節×崎尾節の毎日でした。そんな25年前を思い出しながら、現在も私は獨協のOPE室で月に一度、友人の病院で週に一度全身麻酔を担当しています。

学会発表デビューは獨協医学会で「坐位手術における空気塞栓の一症例」でした、当時ワープロなどない時代手書きの原稿を何回も何回も赤鉛筆で直してくださいました。いつまでもOKがでないので「いつまで書き直すのですか?」と訊ねると「講演の直前まで」との答えでした。崎尾先生が書きなおした部分も御自身で納得いくまで書き直していました。論文デビューは日本救急医学会雑誌に投稿した「心刺創の周術期管理」でした。この時もまた「投稿締め切りの朝まで」書き直してくれました。崎尾先生は医局員の学会発表や論文作成に莫大な時間と労力を惜しまず使ってくださいました。崎尾先生の緻密できめ細やかな学問に対する姿勢を思い出します。私が第一内科の大学院時代に崎尾先生も研究室で実験をしていました。崎尾先生は自分で犬を外に連れ出し排便させて、自分の手で麻酔薬を静脈投与して実験していたのです。そうする事で犬の栄養状態や全身の様子を観察するのだと言っていました。私は手間がかかるから後輩や技術員に御願いする事が多かったのですが崎尾先生の実験に対する姿勢こそが本当の「Research mind」なのだと思います。

医局旅行の時に「いつかは崎尾節をネタに」と思っていたので余興のとき当時流行していた沢田研二の「tokio」という歌の替え歌で「sakio」という歌をカラオケで披露しました。これが参加した皆さんにバカ受けし「sakioが空を飛ぶ〜」の大合唱。その後の忘年会などでもネタに使ってしまいました。どうもすみません。でも私の「sakio」が、どちらかというと硬い崎尾先生をスター街道に押し上げ、その後「教授」になったのだと確信しております。当時崎尾先生の持ち歌は音程など全く関係なく歌う中條清の「嘘」でした。周囲の大爆笑になぜか崎尾先生もうれしそうに歌っていました。

最後に「臨床医」として仕事に対する姿勢を教えていただいた事を書きます。ちょっと大げさですが崎尾先生から学んだ最大の出来事です。当時のICUは朝8時30分に集合してICUのスタッフと各科の医師に当直医師が入室患者さんの報告をするカンファレンスがありました。そのカンファレンスで崎尾先生は、前の夜新しく入室してきた患者さんの事、深夜で起こった急変のこと使った薬剤や処置について詳細に把握していて、私に「君は、なんで知らないのだ!患者さんをよく診ているのか!」と崎尾節。「崎尾先生は患者さんをよく診ているんだなぁ」と感心していました。そんなある日ICUで当直して朝のカンファレンスに備えて温度板を見ていたら、朝8時頃崎尾先生がふらりと来て患者さんのベットをまわって温度板に目を通し看護師さんに、あれこれ質問していました。そして休憩室でコーヒーを1杯飲んでカンファレンスに出ていたのです。私は「これか!」と思いました。崎尾先生の1日の終わりは午後9時30分過ぎにICUに来て患者さんの様子をみて当直医に声をかけてOPE室に電気がついていないかみて「緊急の手術が行われてないか確認」さらに救急外来の前を通って「なにか起こっていないか確認」して帰宅していたのです。これこそ「臨床医の仕事に対する姿勢」なのです。

その後、私は第2麻酔科から所属変更し第一内科で大学院を含め10年間、実家の東京へ戻り日本医科大学第一外科で4年間勉強し開業しました。大学病院でも、どこの派遣病院でも朝一番は外来の日でも検査の日でも必ず「まず病棟に行って受け持ち患者さんの様子をみて看護師さんに声をかけてから」そして「帰宅する前に、ちょっと病棟へ」を常としていました。医師として仕事に対する姿勢を教えていただいた崎尾先生には言葉では表現できないくらい感謝しています。本当にありがとうございました。

拝聴させていただいた最終講義で「教学半」というスライドを提示し「教える事で自分自身の知識の整理ができました。教える事の半分は学ぶ事です。」と言って会場の学生、医局員、職員に御礼の挨拶していた崎尾先生の姿は素晴らしく心にしみるものでした。お体に気をつけて、これからも崎尾節での御指導をよろしく御願いいたします。

●2009年03月18日(水)


●2009年03月16日(月)


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●2009年03月13日(金)


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